心ぴくコーナー

このコーナーは、私(巻来功士)が、今月見た映画の中で、心臓がピクピクするほど感動及び興奮、または憤慨?した作品を紹介するコーナーです。

第12回 <マッチスティックメン> 2003.10.24

第11回 <座頭市> 2003.09.26

第10回 <ゲロッパ> 2003.08.28

第9回 <デブラ・ウィンガーを探して> 2003.07.24

第41回〜第45回 第36回〜第40回 第31回〜第35回

第26回〜第30回 第21回〜第25回 第17回〜第20回

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第12回 <マッチスティックメン>

座頭市
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今月観た映画は、「ノックアラウンド・ガイズ」「くたばれハリウッド」「トゥームレーダー2」「カンガルージャック」「マッチスティックメン」「ドッペルゲンガー」「S・W・A・T」「山猫は眠らない2」「バリスティック」「インファナル・アフェア」です。
張り切って見にいったのではなく、なんだかダラダラと10本見た感じで、映画の内容もどこかダラダラとして、これで決まりという作品が少ない月になってしまいました。
そのなかでも、私の好きなダレさ加減を主人公が持っていた映画を紹介します。

というわけで、第12回心ぴく映画コーナーは「マッチスティックメン」です。
待望のリドリー・スコット監督の最新作です。監督のほとんどの映画は好きな私ですが、前作の「ブラックホークダウン」だけは許せないほどの駄作だったので今回も心配していたのですが、予想を裏切り(?)軽妙で愛すべき映画になっていました。
近頃、アクション系の作品であれコメディー系の作品であれ、個性を十分に発揮していないのではないかと思われた、主演のニコラス・ケイジが久々の快演を見せてくれました。
少したれ目で、善人そうな小心者。そんな感じの主人公が事件に巻き込まれてゆく。
ニコラス・ケイジの良さは、私も含めたほとんどが凡人の観客が感情移入しやすいところに在るのではないでしょうか。
(とくに私のお気に入りのニコラス・ケイジ主演作は、「レッドロック・裏切りの銃弾」です)そんなニコラス・ケイジの今回の役は、詐欺師です。それも大きなヤマではなく、寸借詐欺のような事を相棒と二人でやっています。小金を多く貯めこんでいますが、良心の呵責なのか別れた妻子への悔恨のせいなのか、潔癖症、広場恐怖症などの精神的病も抱えています。これが奇妙な笑いを誘い観ている者を飽きさせません。やがて精神科医に、妻と別れてから生まれた、まだ会ったことがない自分の娘に会うことが治療の近道だと勧められます。
その娘と出会ってから物語が加速します。そして後半、つい手を出してしまった大きなヤマと大どんでん返し、私は見事に乗せられ楽しませてもらいました。
ニコラス・ケイジの最後の表情、これがこの映画の全てを物がたり、ケイジの個性とマッチして洒落て小粋な感じでラストを迎えます。まさに今少なくなってしまった(絶滅してしまった?)職人監督の腕の冴えを見せてくれる1本だと思いました。(少し前に詐欺師映画の駄作を作ったS・スピルバーグのように何でも撮れると勘違いして、SF・戦争・etc.と駄作を撮り続けている監督を職人とはいえないと思います。スピルバーグには初心に帰り是非「激突」「ジョーズ」のような要らないテーマを排除したサスペンスオンリーの映画を撮ってほしいと思います。)そしてもしかしたら、リドリー・スコット監督こそ、私の大好きな職人監督、故ドン・シーゲルや故ロバート・アルドリッチのような小粋で芯が通った作品を取り続けることが出来る唯一の監督になってくれるのではないかという、そんな大きな期待をさせてくれる1本でした。
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第11回 <座頭市>

座頭市
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今月は、結構面白い映画が多く、実りが多い月になりました。見たのは8本。
「閉ざされた森」ひさびさのジョン・マクティアナン監督作、どんでん返しが多すぎてラストの意味が分からなくなりそうな怪作。
「シモーヌ」結局ハリウッド的落ちだが、アル・パチーノの演技が光る娯楽作。
「デス・フロント」落ちないラストだが雰囲気がなかなかいいイギリス映画。
西部戦線の怪奇譚「ドッグ・ソルジャー」やはりイギリス映画、狼男軍団対イギリス陸軍小隊、森林での血みどろバトル。金は掛かってないがサバイバルのアイデアが光る作品。
「HERO〜英雄〜」日本の戦国物に通じる情緒が泣かせる大ヒット中国映画。
「名もなきアフリカの地で」実話らしいが、第二次大戦を舞台に見せる古典的な家族再生のドラマ。意外と凡庸だが、アフリカの大地が見せる作品。
「戦場のフォトグラファー」ロバート・キャパ金賞5回、以下数々の賞に輝くアメリカ人戦争写真家、ジェームズ・ナクトウェイのドキュメント映画。まるで写真に全てを捧げる修行僧のような氏の生き方に圧倒され、戦争の現実が胸に迫る傑作。日ごとにきな臭くなるこんな時代にこそ、もっと広く見てほしい映画。
「座頭市」ご存知大ヒットたけし映画。

というわけで第11回心ぴくコーナーは「座頭市」です。
近頃の日本娯楽アクション映画の中では図抜けた傑作だと思います。
痛快で迫力があり、残虐な描写を笑いが中和し、ラストの生き生きとした祭りの描写が大団円を盛り上げる。多少敵の黒幕の描写がダソク的なところはご愛嬌で、非常に楽しめました。第二弾が待ち遠しい日本映画はひさしぶりです。
ただ一抹の不安もよぎるのです。この映画が氏の、客を意識した計算によって作られていれば良いのですが・・・。次回作もこれまでの氏の映画のように、感性だけを売り物にした業界人が持ち上げる(なんだかなあ〜)みたいな映画にはしてほしくないのです。信じていいですよね。
思えば氏はこの映画を撮る為に、これまでもがいて来たように思えるのですがどうでしょうか?
「その男凶暴につき」の刑事、「ソナチネ」のやくざ、「キッズリターン」の高校生、「HANABI」の刑事、他の作品もそうなのですが、もやのやした物を吐き出すときに主人公達がみせるパワーのようなものを唐突に表現する描写の連続で映画が構築されていたように思います。というわけでこれまでの氏の映画は現代という舞台の上でそれをやっているので、暴力的な男がみせる暴力ファンタジー世界を受け入れられるコアなファンしか楽しめない作品になっていたのではないかと思うのです。そしてその映画達の中心に、監督として、主人公として、絶えずドッカと腰を下ろしていたのが、暴力ヒーローたけし自身だったのです。どの作品もたけしというヒーローを描いた物だと言ったら言い過ぎでしょうか?そんなリアリティーのない、そしてカタルシスもないヒーロー映画をなぜヨーロッパの人々が支持するのかと私なりに考えてみた結果、住んだこともない他国の人が日本の空気を肌で理解することなどできるはずもないので、彼らは、まず映画の舞台や設定を現実と捕らえて見始めるしかないのです。けっしてこんな物うそ臭いなどと思うはずもなく現実にあるものだと思えば、あんないきなり銃を撃つ日本ヤクザの描写など怖くて面白いに決まっています。あくまでうそ臭いと思わない他国の人の話ですが・・・。
というわけで、それまでの氏の映画をうそ臭いファンタジーと感じていた私がなぜ「座頭市」が面白かったかというと、まさに完全に腹の座ったファンタジー映画になっていたからなのです。
たけしのそれまでの映画で聞こえていた「なんで憎たらしいヤツをぶっ殺してもスカッとしないんだ?馬鹿やろー」と言う声が「座頭市」では「あっ、ぶっ殺してスカッとする世界がここにあったんだ」という喜びの声に変わっていたのです。そのくらいに乗って作っていると思えたのです。だからこそ、これまでの映画のように、展開に迷ったから話と関係ないギャグやエピソードを入れるという描写はほとんど無く、シンプルで客が乗れる映画になっていたのだと思いました。
願わくば次回作は観客のことを考えた大娯楽大作「座頭市2」を期待しているのですが、天才と業界人からモテハヤサレテいる人だけにやはり多少の不安があるのは事実です。取り越し苦労ですよね。期待していますよ、北野武監督。
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第10回 <ゲロッパ>

ゲロッパ
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記念すべき第10回心ぴくコーナーは、「ゲロッパ」「パイレーツ・オブ・カリビアン」「ハルク」「ライフ・オブ・デビッドゲイル」「パンチ・ドランク・ラブ」「アメリカン・アウトロー」「28日後」「アダプテーション」「ウェルカム・トゥ・コリンウッド」と見た結果、私の作品の選択が悪かったのか、プロデューサーが口を出しまくり、作家性を潰して凡作にしてしまったハリウッド映画か、ちょっと捻りを利かせただけの映像テクニックをひけらかす小劇場系の芸術という衣をまとった凡作のどちらかがほとんどで、心臓がぴくぴくするような映画はあまり見当たりませんでした。しかし、そんな中でも画面から必死さというか、熱気というか、そんなモノが伝わってきた作品を選びました。
第10回心ぴく映画は「ゲロッパ」です。
ご存知の通り、諸事情でヒットさせなくてはならない宿命を背負った、井筒和幸監督の作品です。
なんといってもいいのは、主演の西田敏行の演技です。
近頃のなんだか国民的俳優になりつつあるような、お上品な演技が増えた印象がありましたが、なかなかどうして、こんな破壊的なコメディー演技ができるのは、日本にはこの人しかいないのじゃないかと思えるほどでした。
私の大好きなアメリカのコメディー俳優、スティーブ・マーティン(「ペテン師と詐欺師・騙されてリビエラ」「二つの頭脳を持つ男」が最高)に似て泣かせる時は徹底的に泣かせ、破壊的なブラックな演技もまた徹底的にこなすという素晴らしい才能を持っている人だと、改めて気づかされました。
そういえば、私は二十年ほど前のテレビ番組、脚本・市川森一、西田敏行主演の「寂しいのはお前だけじゃない」が大好きでした。やくざに追われる、元金貸しが旅回りの一座をつくり、奮闘するさまに泣かされ笑わせられたことを思い出しました。
とにかく、この映画は、話の筋とかつじつまとかはあえてどうでも良いのです。
西田敏行の久しぶりの生きの良いコメディー演技を存分に楽しむ映画なのです。
そして、願わくば「〜日誌」などというお上品な作品には見切りをつけ、ガッツのあるコメディーにどんどん主演して欲しいものです。絶対に面白い物ができると思います。
ジェームス・ブラウンの「Get Up(ゲロッパ)」を踊って歌いきる日本の俳優がどこにいるでしょうか。
とにかく、西田敏行主演の生きのいいコメディーを映画会社に希望します。
そして、それを撮れるのはどんなに批判されようと、日本では井筒和幸監督しかいません。
いないと断言できるほどです。
それほどコメディーというのは、本当のエンターテイメントを撮れる人、もしくは撮ろうと努力する人しかモノにできないほど難しいものだと思うのです。だからこそ、今の日本の映画監督が最も毛嫌いする分野の一つでもあるのですから。(コアな世代にだけ発信するカルトコメディーとは別、この分野を撮る人は日本にたくさんいる。でも、ほとんどが分かる人だけ分かればいいという、テクニックだけをひけらかす芸術作品の衣をかぶった凡作と同じようなモノ。)

とにかく、それに挑むガッツを持った映画を是非両人には作ってもらいたい(たとえば、「社長漫遊記シリーズ、やくざ編」とか)そういうことを考えながら期待に胸をふくらませ、映画館を出ました。
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第9回 <デブラ・ウィンガーを探して>

デブラ・ウィンガーを探して
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今月は、「シティー・オブ・ゴッド」「デブラ・ウィンガーを探して」「人生は、時々晴れ」「ターミネーター3」「エデンより彼方へ」「ムーンライト・マイル」「トーク・トゥ・ハー」「ミニミニ大作戦」「ソラリス」「チャーリーズ・エンジェル・フルスロットル」と見た中で、気に入った作品を選びました。
というわけで第九回<心ぴく>コーナーは「デブラ・ウィンガーを探して」です。

「デブラ・ウィンガーを探して」はドキュメント映画です。40歳を超えた女優、ロザンナ・アークエットが、同じような年齢の女優がハリウッドで、どういう扱われ方をされているのかを、何人もの人気女優や個性派女優のインタビューから浮かび上がらせます。彼女たちの言い分は、ハリウッド映画は子供向けのCG作品ばかりで、演技力とか関係なく、若くて可愛い女優しか要求していないということ、だからベテラン女優に仕事が回ってこないということでした。私も、まさにその通りだと思います。とくに近頃けんちょになってきているのではないでしょうか。「若い映画ファンなら若くて可愛い子が良いに決まっているじゃないか」と言われそうですが、70〜80年代の映画は少なくとも、そればかりじゃありませんでした。(逆にリアリティーを出す為に、若い女優も個性派を使うことが多かった。モデル出身者も今ほど多くなかったと思う)私はアイドルを見るために洋画を見に行ったことはないし、そんなことより新しい感動を発見させてもらう為に、今でも変わらない気持ちで映画館に通っています。そういう意味でも、近頃のハリウッド映画は彼女たちの言うように、若く可愛い女の子が良いのだ、などという他にも多数あるマニュアルばかり気にして作っているから、別々の映画を切って貼り合わせても1本の映画になってしまうという金太郎飴映画の大量生産になってしまっているのです。
映画の中で40歳を越えたアークエットにごく自然にセクシーだと言ったヨーロッパのプロデューサーの言葉が印象的でした。ヨーロッパの映画は、まだしっかりと人生を見つめた映画が作り続けられています。4、50代の女優が人生や性についてのリアルで奥深い映画で多数活躍しています。これも成熟した文化が根付いているせいなのでしょうか?となれば、まだ250年ほどの歴史しかなく、いい大人が本気で正義の為に戦争なんかやる国ではなく、2000年以上の歴史があるというのに、この国の、お子様文化は目に余るものがあると思うのですが・・・。夜の9時、10時台という大人の時間帯にまで、アイドルタレントの出るドラマやバラエティーのオンパレード、それも多くのドラマが漫画の原作で、本当の大人のドラマを見たい人にとっては、話が文字どおりに漫画みたいにリアリティーがない作品なんて、とても1時間も集中して見られるものでありません。(漫画を卑下している訳ではありません。漫画は漫画の表現方法が合っているので漫画という形になっているのです。ドラマとはまったくの別物です)。それなのに、そんなドラマ、みんなとっくに飽きている事実があるというのに、それが作り続けられているという不思議。受け手無視の、作り手側の企業の論理と言うヤツで、そうなってしまうのでしょうか?似たような病が他の全ての文化にも及んでいると感じるのは私の思い過ごしでしょうか?やはり2000年経っても文化が成熟し、大人の文化に成りえなかったツケが今私たちの元へ回ってきているのでしょうか?
そんなことまで考えさせてくれる作品でした。
そして、70年代、80年代の、まだ人生や社会を鋭く捉えた作品がたくさんあった頃の、アメリカ映画に出ていた女優さんが、多数出演していて、それだけでも嬉しい映画でした。
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